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卒業生からのメッセージ
WILLER株式会社 代表取締役村瀨 茂高氏
Shigetaka Murase -
「移動が変わると、街が変わる。」
村瀨社長が語る、愛知学院での原点と描く未来
村瀨社長が在学していた頃の愛知学院大学には、独特の活気がありました。学生たちは積極的で社交的、学外のさまざまな大学の学生とも臆せず交流し、自分たちで文化をつくり出していく気風がキャンパスに満ちていたといいます。
「就活の場で愛知学院の学生と話すたびに、なんか変わったな、と感じるんですよね。昔はもっとヤンチャで元気な子が多かったのに」と、村瀨社長は少し懐かしそうに微笑みます。偏差値の上昇や社会全体の価値観のシフトが背景にあるのでしょう。愛知学院に限らず、学生気質そのものが時代とともに変わってきているようです。
それでも村瀨社長が懐かしんでいるのは、単なるヤンチャさではありません。あの時代の愛知学院が体現していた、「積極的に外へ出て、人と人をつなぎ、文化をつくる」という活気と、その先にあった豊かな出会いです。
高校時代は朝から晩までテニス一色。愛知高校を卒業後、愛知学院大学へ進んだ村瀨社長は、テニスサークルに加わります。最初はこじんまりとした集まりだったそうですが、気づけば200人ほどの大きな組織に成長していました。
しかも、集まっていたのは愛知学院の学生だけではありませんでした。名城大学、中京大学、椙山女学園大学……10校から15校にわたる学生たちが毎週集まり、交流試合やイベントを共にしていたといいます。
それが僕の見ていた光景でした。 ― 村瀨茂高社長
組織の運営も本格的なものでした。一回生で入部した学生が三回生になれば幹部として采配を振り、会費の管理から企画立案まで、まるで小さな会社のように機能していたそうです。「会社じゃないんですけど、会社組織と同じ役割があって」と村瀨社長は話します。単なる遊びの場を超えた、社会への実地訓練の場でもあったのです。
チラシを手づくりし、一冬で3,000人を動かしたスキーツアー
テニスサークルの多くは、オフシーズンにはスキーを中心に活動し、学生が団体でスキーに繰り出していた時代。「最初はサークルのメンバーだけで行っていたんですが、話を聞いた友人が『自分も行っていいですか』と言い始めて」。そこで村瀨社長たちが取った行動は、チラシを自作し、日程を組み、参加者を広く募ることでした。
バスを手配し、宿を押さえ、代金を集めて参加者を送り出す。スキー場では、愛知の学生が東京・大阪の学生と偶然出会います。「インターネットも携帯もない時代に、スキー場だけが違う文化の学生と出会える場所だったんです。それがもう、めちゃくちゃ面白かった」と、村瀨社長は冬のスキー場だけが日本中の大学生が出会い、つながり会える場所である、と当時から気づいていたようです。リアルな出会いが全てであった時代、サークルで手掛けたスキーツアーは、ただスキーを楽しむ以上の価値があるという確信があったそうです。
資金づくりもユニークでした。コンサートやイベントの警備などのアルバイトにサークル全員で参加し、その報酬をサークルの共有資金へ。みんなで稼いで、みんなで使うというダイナミックな活動スタイルは、当時の愛知学院らしさを象徴していたといえるかもしれません。
ビジネスにしようという気持ちはなかった、と村瀨社長は言います。ただ純粋に、「人が喜ぶ顔を見たかった」。その体験が、後の事業哲学の根っこになっていきます。
就活の場で学生たちと向き合うとき、村瀨社長がいつも伝えることがあります。「学生時代に成功体験を持った人は強い」ということです。ここでいう成功体験とは、お金を稼ぐことではありません。「これまでにはなかった価値を体験できた」という感覚のことです。
サークルで、限られた予算と人手の中で企画を動かし、仲間の笑顔を引き出した記憶。その体験が社会に出てから「世の中の人が喜ぶことをしよう」という行動原理に変わっていきます。「会社が利益を得るのは、皆さんからのお駄賃だと思っています。いつも通りで100円、今日は頑張ってくれたから200円。それがお駄賃なんです」。学生時代の体験が、そのまま仕事への考え方になっています。
チャレンジをしておくことが、何よりも大切だと思います。 ― 村瀨茂高社長
また、異なる大学・文化の学生との横のつながりが、社会に出てからも生き続ける大切な財産になっている、と村瀨社長は強調します。「仕事仲間だと、どうしても会社の中でしか話せないことが出てきます。でも気楽に話せる、信頼できる外の人間関係——それはやっぱり大学時代の友人しかいないんですよね」と穏やかに語ります。
海外から見えた日本の若者の「内向き化」
現在、村瀨社長は年の大半をマレーシアやシンガポールなど東南アジアで過ごしています。「日本にいるのは3割くらい」という生活の中で感じることがあります。東南アジアの同世代の若者は、エネルギッシュでチャレンジ意欲にあふれています。一方、コロナ禍を経た日本では、海外旅行を経験したことがない学生が増えているのも事実です。
「大学時代のサークル活動で、愛知の学生が東京・大阪の学生と出会って刺激を受けたように、今は外の世界を見せる機会を意識的につくらないといけない」と、村瀨社長は感じています。そのため自社では、国内社員と海外200人弱のスタッフとの相互出向を積極的に進めています。
リモートワークについても、先月から原則出社へ方針を転換したそうです。「画面越しだと仕事は進むんですが、好奇心が出てこないんです。顔を合わせた瞬間の気づきや、偶然の雑談から生まれるアイデアは、オンラインでは代替できない」と村瀨社長は言います。
村瀨社長の現在の事業の軸は「移動」です。そしてその哲学は、学生時代のスキーツアーの体験に直接つながっています。「スキー場まで行くバスがあったから、東京の人と出会えた。交通がなければ、出会えなかったんです」。
WILLERグループでは、2015年に京都丹後鉄道(丹鉄)の運営を引き継いで事業展開しています。沿線約114kmという、鉄道としてもなかなかの長さを誇る路線を持っているのが自慢ですが、利用者数は都市部の鉄道に比べて控えめで、良い意味でギャップのある路線です。それでも村瀨社長の目には、その「静けさ」が大きな可能性に映ります。
きっかけのひとつは、宮津市での体験でした。10年前に訪れたとき賑わっていた飲み屋街が、再訪すると閑散としていました。タクシーが捕まらないからホテルへ帰れない。帰れないから飲みに来る人が減る。お客さんが来ないから店が閉まる——交通が失われることで、街全体がゆっくりと静かになっていく現実を目の当たりにしたのです。
「地方のほうがいい」と言える街を一緒につくりたい。 ― 村瀨茂高社長
解決策として村瀨社長が注目しているのが、白ナンバーの一般ドライバーによる旅客サービス(ライドシェア型)の日本への導入です。「地方が解決すべきは、移動と教育の二つ。この二つが都会と同じ水準になれば、地方は大きく変わることができると思っています」と穏やかに、でも確かな手ごたえをにじませながら語ります。
自動運転・EV・オンデマンド交通のルーティングなど、国内最先端の技術を丹鉄沿線に集積させる取り組みも進んでいます。そして海外では、マレーシアの鉄道17駅にサービスを展開。開始から数ヶ月で50万人が利用するモビリティサービスに育っています。
スキー場で見知らぬ学生同士が笑顔で語り合っていたあの光景。飲み屋街に灯りが戻り、地元の人も観光客も一緒に夜を楽しむ光景。村瀨社長が描く未来は、いつも「移動の先にある笑顔」から始まっています。
村瀨社長は、自社においてもフラットな組織文化を大切にしています。1,000人超の社員に対して、社長がタメ口に近い感覚で話しかけられる雰囲気を意識的につくり、入社2〜3年目の若手でも気軽に意見を言える場を保っています。「大学時代の仲間とわいわいやっていた感覚を、会社の中でも大切にしたいんです」と村瀨社長は話します。
現役学生へのメッセージは、シンプルです。「授業で単位を取ることも大切ですが、その四年間の中で、できるだけ多くの人と出会い、チャレンジを重ねてほしいと思います。人と接する中で磨かれるもの、みんなで何かをやり遂げた成功体験——それが必ず、社会に出てから自分の武器になります」。
「大学時代が全ての原点」——その言葉には、照れくさそうな笑顔の奥に、揺るぎない確信がありました。