• 学校法人愛知学院
  • 愛知学院大学
  • 愛知学院大学短期大学部
  • 愛知学院大学 歯科技工専門学校
  • 愛知学院大学歯学部附属病院
  • 愛知高等学校
  • 愛知中学校

卒業生からのメッセージ

社会福祉法人ウィズ〜with〜 理事長・株式会社SWIFT JAPAN 代表取締役中川 幸俊

Yukitoshi Nakagawa
中川 幸俊氏 Yukitoshi Nakagawa

「世界で活躍できる子どもたちを育てたい」
中川理事長が語る、人生を変えた出会いと、保育に託す夢

政治家を夢見た、全国トップ営業マンとしての9年間、そして単身飛び込んだオーストラリアでの起業。
人とのご縁に導かれてきた半生の先に見つけたのは、「保育」という天職でした。
社会福祉法人ウィズ 理事長・中川幸俊さんに、愛知学院での日々と、福祉と教育を通じて実現したい未来をお聞きしました。
1学年18クラスのマンモス男子校から始まった学生時代

中川さんが通っていた頃の愛知高校は、まだ男子校。1学年18クラスという規模で、その6割ほどがそのまま愛知学院大学へ進学していました。「入学当初から友人が大勢いたことは、とても心強かったですね」。キャンパスに行けば知った顔ばかり。特定のグループに固まることなく、幅広い交友関係の中で学生生活が始まりました。

本当は東京の大学に行きたかった中川さんですが、長男であることから、父に「大学時代に家のことを手伝わなかったら、いつ手伝うんだ」と猛反対されたそうです。盆暮れ正月には来客の絶えない家。長男の務めを果たすべく地元に残った選択は、結果的に、生涯の友人たちとの出会いにつながりました。

キャンパスではいつも仲間と賑やかに過ごし、学食では他愛もない話や遊びの計画で盛り上がる毎日。「2年生のうちに取れる単位は早く取りなさい」という母の教えを守って朝から夕方まで授業に出席し、3年生からは時間の余裕を活かして、好きなことに思い切り挑戦するという、メリハリの効いた学生生活でした。

ゴルフ、信州ドライブ、4年間のうどん屋——「貪欲」だった日々

大学入学と同時に本格的に始めたのがゴルフです。中学生の頃、父に練習場へ連れられたことはあったものの、当時はバスケットボール一筋で見向きもしなかったそう。「地面にあるボールを打つだけだろうと軽い気持ちで再開したら、全く打てない。隣を見たら、おじさんたちがポンポン打ってるじゃないですか。それで心に火がつきまして(笑)」。毎日のように練習に励んだおかげで上達も早く、今でもパープレーを目標にラウンドを楽しんでいます。

一番の思い出は、大学のグループで出かけた夏の信州旅行。「もともと車の運転が好きだったので、仲間と長距離ドライブをしながら過ごした時間は、今でも最高の思い出です。本当に、最高に楽しかったですね」。
サークルには入らず、打ち込んだのはアルバイト。4年間、一度も変わることなくうどん屋さんで働き続けました。「おかげで手打ちうどんが打てるようになりました。これも学生時代の大きな財産の一つです」と笑います。

生徒会長が夢見た「国を動かす仕事」

当時の将来の夢は、政治家でした。小学校、中学校ともに生徒会長を務め、その前から学級委員のような役割にもなぜかいつも選ばれてきたといいます。「多くの人をまとめたり、より良い環境をつくったりすることにやりがいを感じるようになって。いつしか『国を動かし、社会をより良くする仕事がしたい』と考えるようになっていました」。

実は当時、母親に政治家のツテがあり、「そこで働きたい」と申し出たこともあったそう。しかし母に猛反対され、断念。それでもこのとき芽生えた「社会をより良くしたい」という想いは、形を変えて、後の人生を貫くことになります。

トップ営業マンが見た現実、そして単身オーストラリアへ

卒業後は大手電機メーカーに入社し、東京・千葉など首都圏を中心に9年間、営業マンとして働きました。日本を代表する大型案件を数多く手掛け、全国トップ営業マンとして日本経済新聞社の取材を受けるほどの実績を積み上げます。しかしあるとき、会社の大きな組織再編が転機となりました。
「仕事のできる35歳ぐらいの先輩たちが、支店長クラスまで務めていたのに軒並み降格する姿を目の当たりにしたんです。このまま会社に愛情を注いでも、行く末はこれかと、大きな衝撃を受けました」。

折しも、イチロー選手をはじめ、歳のそう変わらない日本人が海外へ飛び出して活躍していた時代。学生時代の旅行で「いい国だな」と感じていたオーストラリアへ、30歳のとき、何の当てもなく飛び込みました。英語は全く話せないまま。「半年やってダメなら日本に帰ればいい」——そんな楽天的な気持ちで渡った国での滞在は、気づけば8年に及ぶことになります。

それまでは敷かれたレールの上を歩いてきた人生。人生に一回ぐらい、
無謀なチャレンジをするのもいいなと思ったんです。 ― 中川幸俊理事長
壁に開けた穴が呼んだ、「父親代わり」との出会い

現地で始めたのは、ビルメンテナンスの仕事でした。そのきっかけは、思いがけないハプニングです。最初に住んだアパートから引っ越しを決めた3日前、部屋でゴルフクラブを振り回して壁に穴を開けてしまいます。慌てて不動産屋に電話して紹介されたのが、内装業者を束ねる会社を営む一人のオーストラリア人でした。

日本での営業経験を話すと、「この街でそんなことをやっている人間はいないから、お前がやれ」。と、会社の立ち上げまで後押ししてくれたこの人物を、中川さんは「父親代わり」と呼びます。「あの方がいなかったら、破産して帰ってきていたと思います」。

鍵の修理やトイレの詰まりといった小さな仕事から始まった事業は、日本人らしい時間厳守と誠実な対応が評判を呼び、噂が噂を呼んで、最後にはアパートやビルを1棟丸ごと任されるまでに成長しました。異国での起業を支えたのは、ここでもやはり、人との出会いと信頼でした。

3歳児が教えてくれた「言語は環境」——38歳、保育への転身

そのオーストラリアで、人生を変える光景に出会います。移民が多い国であるオーストラリアの公園には、100か国以上のルーツを持つ人たちが集まります。そこで中川さんはふと気づいたそう。「3歳ぐらいの子どもが、自分の親とは母国語で話し、友達や友達の親とは英語で話すんです。なんて子どもの能力は高いんだと、感銘を受けました」。

言語は、才能ではなく環境。それを心の底から実感したんです。
日本の子どもたちにも、この環境をつくってあげたいと思いました。 ― 中川幸俊理事長

日本で過ごす子どもたちにも英語や外国の文化を届けたい。その手段として思い至ったのが、保育園でした。38歳で帰国し、名古屋市東区・徳川の地に最初の園「ALL4KIDS」を開設。ネイティブの外国人講師を常駐させ、朝から晩まで日本語と英語の両方が自然に聞こえてくる環境をつくりました。

認可外施設からのスタートは苦難の連続で、当初2年間は「ほとんどボランティア」の経営状態。それでも子ども・子育て支援法の改正を見据え、厨房を備えて温かい給食を提供できる「認可仕様」で園をつくっていた先見が実を結び、3年目に狭き門を突破して認可施設へ。経営は軌道に乗り、園は地域で爆発的な人気を呼びました。

現在、「ALL4KIDS」は13の保育施設と学童保育を運営し、立ち上げ以来ずっと満員で、「なかなか入れない保育園」と役所の担当者が口にするほどの人気です。保育士と話すときは日本語で、外国人講師と話すときは何とか意思を伝えようと英語で——子どもたちが自分で考えて言葉を切り替える姿に、外国にルーツを持つ園児も多いことから、「インターナショナルスクールですか?」と聞かれることもあるといいます。

育てたいのは、世界で活躍できる子どもたち

福祉事業を通して叶えたい夢を尋ねると、答えは明快でした。「ずばり、世界で活躍できる子どもたちを育てることです」。
日本人は「自己主張が苦手」と言われることが少なくありません。だからこそ「ALL4KIDS」では、英語を学ぶことだけでなく、子どもたちが自分で考え、自分の意見を伝え、失敗を恐れず挑戦する経験を何より大切にしています。さらに4・5歳児を対象に、フィリピンやシンガポールでの親子海外語学研修も実施。幼いうちから多様な文化や価値観に触れる経験は、「世界は広い。でも自分もその中で活躍できる」という確かな自信につながると考えています。

その根底には、これからの時代への確かな見立てがあります。AIの進化や人口減少により、世界中から優秀な人材が日本で活躍する時代は間違いなくやってくる。「だからこそ日本の若者には、誰かに使われるだけの人材ではなく、自ら価値を生み出し、世界をリードできる人になってほしい。一番大切なのは『自分ならできる』という揺るぎない自信で、それは幼児期から育てられると信じています」。保育園は、人が生まれて最初に出会う、社会性を育むコミュニティの場。だからこそ中川さんは、幼児教育にすべてのエネルギーを注いでいます。

後輩たちへ—挑戦する若者が魅力のある日本をつくる

愛知学院で学ぶ後輩たちを見ていて感じるのは、「もう少し若さあふれるエネルギーを前面に出してもいいのではないか」ということ。「勉強はもちろん大切ですが、夢や恋愛、趣味など、何事にももっと貪欲に挑戦してほしいですね。若いうちに夢中になって何かを追いかけた経験は、必ず将来の自分の財産になります」。

中川さん自身、学生時代は「かっこいいスポーツカーに乗りたい」「気になる女の子にいつ声をかけようか」と、そんなことばかり考えていたそう。携帯電話もない時代、大学で勇気を出して話しかけ、相手の自宅へ電話をかけてはドキドキした——。そんな不便さこそが、自分から人と向き合う力を育ててくれたのかもしれません。

「今は便利な時代だからこそ、画面越しではなく、自分から一歩踏み出して人と向き合う経験を大切にしてほしい。若いうちしかできない挑戦を思い切り楽しみ、後悔のない学生生活を送ってください」。

中川さんの半生には、いくつもの出会いや挑戦があり、それは未来への確かなビジョンを育みました。AIの進化と人口減少で社会が大きく変わるこれからの時代に、世界中のどこに立っても臆することなく、自分の考えを語り、自ら未来を切り拓いていける日本人を育てる。そんな若者が増えれば、日本はもっと挑戦する国になり、もっと魅力ある国になる——。
これからの日本を担う子どもや若者が「日本人でよかった」「日本が大好きだ」と胸を張って言える社会へ。福祉と教育を通じてその未来を実現する挑戦は、今日も「ALL4KIDS」の園舎に響く、子どもたちの元気な英語のあいさつから始まっています。

profile
中川 幸俊社会福祉法人ウィズ~with~理事長・株式会社SWIFT JAPAN 代表取締役 
1992年 愛知高校卒業、1996年 愛知学院大学法学部卒業後、大手電機メーカーへ入社。首都圏を中心に日本を代表する大型案件を数多く手掛け、全国トップ営業マンとして日本経済新聞社の取材を受けるなど高い実績を築く。その後、豪州メルボルンで起業。現地で幼い子どもが自然に多言語を操る姿に感銘を受け、日本の子どもたちにも英語や異文化に触れる環境を届けたいという想いから、2013年に保育事業を開始。現在は13の保育施設と学童保育を運営し、保育を通して「子どもの可能性を最大限引き出し、世界へ羽ばたく子どもたちを育てる」ことを理念に、非認知能力の育成に注力。
英語、体操、リトミック、茶道、華道、料理など多彩なカリキュラムを通じ、一人ひとりの個性や主体性、創造力を育む教育を実践し、地域から高い支持を集めている。